先週水曜日の松元行きから自転車に乗っていません。一応、今週は40分くらいでゆっくりと下ペースですが今日と合わせてニ回ジョギングをしました。とはいっても1km7分くらいですがそれほど楽には感じませんでした。マラソンに出ていたときは5分半くらいで一時間余裕に走っていたのですが。やはり自転車と合わせてもっと距離や頻度を上げないと現状維持がせいぜいでしょう。
今日も甲突川のあたりを走ったのですが、帰りに茶トラの猫と白猫が見つめ合っているのを見つけました。近寄ると白猫は走り去ってしまいましたが、茶トラは手招きしたら寄ってきました。茶トラは人懐っこい猫が多いのでしょうか。一見まるまるとして見えましたが、腰を撫でてみると肉が少なく感じました。餌が欲しかったのでしょう。いわゆるさくら耳というのでしょうか片耳が切られていて、去勢ないし避妊手術されているようでした。茶トラはオスが多いらしいので去勢手術のほうでしょうか。誰が考え出したのか知りませんが、他に有効な印がないのかもしれないとはいえ、身体の一部を切除するのは完成された美を損ねて好きではありません。
かつてはもっとわらわら猫がいたと思うのですが、ボランティア活動の影響か当時に比べれば数が減っているように感じました。もっとも、単に餌をやるおばさん(男性は見たことがない。真夜中に一帯の猫に餌をやって回っている人も見たことがあります)が高齢化しただけかもしれませんが。ちなみに私は猫を減らしたいなら去勢や避妊などまどろっこしいことはせずに片っ端から捕らえて殺処分すればよろしいと思っています。なお、私が殺処分して減らしたいと考えている冷酷な人間だケシカランと感じた方は読解力に問題がありますのでご注意下さい。
ところで、熊本で大量に飼育した猫が死んで刑事事件になったニュースを見たことがありますが、愛護団体の複数の中年女性が猫が死んだことに対して大声を上げて号泣する映像が流れていて狂気さえ感じたことを思い出しました。擬人化した猫にというよりは、猫を可愛がっている自分に陶酔してしきっているように見えました。果たして自分の人間の家族が死んでも彼女らはあれほど嘆き悲しむでしょうか。そりゃ猫は可愛いでしょう。人間と違って黙っていても媚を売ってくれるのですから。身近な人間への不満のはけ口に猫がなっているのかもしれません。
世間じゃ動物愛護やら動物福祉やらあるようですが、結局は動物の可愛さに由来する、肥大化させた個人的な同情というか、偽装した自己愛に屁理屈を付けているだけの独善に陥っている人たちも多々いるのではないか、ふとそんなことを思い出しました。

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